
なかなか出られなかった鳥取マラソンに7年ぶりの出走
事情はあるが、7年の空白は余りにも大きいと思い知らされた
しかし、ただ記録や順位に拘った前回までとは違う魅力も発見
痛みと寒さにヘロヘロになりながらの鳥取マラソンリポート!
スタートから10キロまで

前日予報は曇りから晴れだったが、今にもこぼれ落ちそうな山陰特有の天気。エントリーは4100人以上で、鳥取駅から鳥取砂丘へ向かう選手専用のシャトルバスには長蛇の列。着いたスタート地点は思い思いにアップするランナー達で溢れていた。

スタート合図は9時だが私が通過したのは3分過ぎ。そこからも人の波で走るというよりは歩く感じ。砂丘を右手に見て上り下りが続き、トンネルを過ぎた3キロ辺りでやっと自由に走れる様になった。久し振りなので最初はスローで行くと決めていた。
砂丘を抜けて郊外の住宅地へかかる辺りで沿道の観客が増えて、ハイタッチを求める子供や高齢者の方が現れてくる。両側の歩道から声援や拍手が起きて盛り上がってきた。最初のエイド(エイドステーション)はパスして、少しずつ追い抜いていく。
徐々に市街地に近付いて沿道の人波が増えてくる。鳥取城跡でゲストランナーの安田美沙子さんが声援を送っているので、軽くハイタッチ。そこで初めての給水。スピードアップを図るがなかなか上がらない。10キロ地点で前回より10分遅れ。
2キロの急坂が待つハーフ
しばらく住宅地が続いた後、少しずつ観客も減って郊外へ向かう。これまで何組かの知人の声援を受けてきたが、この先は地縁の薄い私には孤独な走りが待っている。1月の記事で書いた池田家墓所、宇倍神社付近を通り過ぎて両側が田んぼの田園地帯。

20キロ手前で2回目の給水。飲料水やスポーツドリンクの他におにぎりやパン、鳥取名物の梨やらっきょうも出ている。ドリンクだけ飲んで過酷な2キロ以上の急坂が待つ20キロ地点へ。この辺りで歩いたり、止まってアップする人も出てきた。
ハーフ地点でも前回よりかなり遅いタイム。絶対に止まらないと決めていたので、スピードは出ないが少しずつ追い抜いていく。やっと急坂が終わって下りに入るが、一気のスピードアップは膝に不安を抱える私には禁物。

24キロ過ぎのエイドで給水と同時に初めて食物を補給。一切れのバナナと甘い小さなチョコパンが疲れた体にエネルギーを与てくれる。しかし、27キロを過ぎた辺りで異変。まさかの吐き気が生じて、少し止まって深呼吸を繰り返し再発進。
過酷な寒さと風の30キロ
再び田んぼの中を走るが強い風と寒さで体が思うように動かない。ここで、7年ぶりの出走になった理由を簡単に述べる。コロナ禍の数年前、39度の発熱が3日間続いた。コロナかと思って病院の救急外来へ行ったが、発熱の原因は風邪と言われた。
ホッとしたのも束の間。「実は、先程のCTで肺癌が見つかりました」と青天霹靂の一言。え、嘘だろと思わず口走っていた。肺癌なんて高齢者か喫煙者のものという認識しかなかった。「何で俺が…、発熱の前には10キロ、20キロを走っていました」
と、言う私に「肺腺癌という種類で老若男女や喫煙の有無を問わず、誰でも罹る可能性のある癌で、最近は若い女性にも増えている」と淡々と述べた。肺癌といえば5年生存率が最も低いという知識しかなかった。親より先に死ぬのかと暗澹とした。
セカンドオピニオンを受けても変わらず、入院、手術そして退院と慌ただしく日々が過ぎ去っていった。初めて走ったのは術後3ヶ月してから。ジョギングのペースでゆっくり10キロと思ったが、1キロも行かない内に息切れ。
これが肺癌の後遺症なのかと愕然とした。その後、ムキになって取り返そうと思って無茶な走りで両膝半月板損傷。更になぜか喘息まで発症。走るな走るな走るな、と言われているような気がした。コロナ禍から鳥取マラソンが再開したのは一昨年。
初めて沿道で観てみた。トップランナーはもの凄いスピードで駆け抜けていく。次の私と同様のレベルの人達も記録更新と順位を争って真摯に走っていた。その後ろは仲間やカップルで和気藹々。最後は高齢者や女性や仮装の人達が楽しみながら通る。
昨年は辛くて観に行けなかった。俺は癌に負けてしまったのか、と悔しかった。4月からランニング再開。相変わらず息切れの上に膝が悲鳴をあげる。速さは諦めてスタミナで勝負と20キロ走を続けて、自信はなかったが受付の最終日にエントリー。

しかし、甘かったようだ。30キロのエイドに気息奄々で到着。水分補給した後、少しアップしてコースに戻った。が、冷風なのに膝が熱くなっている。スピードは上がらず次々と追い越されていく。そして、37キロ付近の急坂で止まってしまった。
ラストスパートでゴール!
山中のように樹木が連なう夜見峠。この頂上から流れるゆずの『栄光の架橋』で元気を貰うランナーが多い。しかし、今年はその歌は流れて来なかった。もう駄目かと諦めかけて歩いて峠を越えた。しかし、思わぬサプライズが待っていた。
鳥取に来た頃、何にも知らない私に懇切に指導してくれた人。昨年、退いたその人が峠の下で待っていた。ちょっと遅いな、と笑いながら、「最後のマラソンになるかもしれないんだから、ゆっくり楽しみなさい」と一言。礼を言って最後のエイドへ。
エイド付近で冷却スプレーを提供している方を発見。両膝から脹ら脛に満遍なく使用させて頂いた。走ってみると嘘のように脚が軽い。全力疾走は怖くて出来ないが調子のいい頃のようにスピードが乗ってきた。ゆっくり走っていたのでスタミナは十分。

前のランナー達はジョギングのようなペースで内側。その空いた外側を次々と追い越していく。その度にスピードに乗って100人以上追い抜いた。山縣亮太選手が日本記録を作ったトラックに、自己記録より40分遅れたがゴールのテープを切った。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。自分の事を赤裸々に述べたのは初めてなので少し面映ゆいですが、7年ぶりのマラソンを何とか完走出来ました。
膝の手術はアスリート以外にはお勧め出来ないと言われたので、以前のスピードは戻らないと思う。しかし、ゆっくり走って沿道の応援の方やボランティアの有難さを知った。
今日は完全オフにしてのんびりしながら書いてみた。今は膝の痛みで階段の上り下りにも不安。今後の事は状態を見て考えたいが、またゆっくりでも走れたらと思っている。
マラソンはスポーツですが、自分の事なのでこちらに書いてみました。スポーツブログも書いています。よろしければ読んでください⬇️⬇️

